事業とビジョンとミッションVISION & MISSION

はなうたのこれまでと
これから

01~~生まれ育った環境~~

三重県津市で生まれ、静岡県静岡市在住。
両親と妹、祖父母たちと、毎晩決まった時間に食卓を囲み、一年のうち5回~6回は、親戚たちとの誕生日会や新年会が開催されるような環境で育ちました。一家の長は、父ではなく、祖父というイメージです。祖父が決めたことは絶対でしたし、祖父は行動力、アイディア、信頼ある人脈、決断力、リーダーシップ、いろいろなものを持っていました。祖父は独自の人生哲学を語るのが好きで、毎晩のように食卓で言われたのが、「感謝しろ、大きく喜べ」「天気で左右されるな」「運がいい、運がいいと言え」など挙げたら数えきれません。
父は、中学校の教師、母はピアノの先生をしていました。私の記憶では、常に父の教え子たちが自宅に大勢遊びに来たり、母のピアノの生徒さんが夕方はいつもお稽古に来ていたり、祖父が集めた近所の人たちで宴会が開かれたりと、お客さんの出入りの多かった印象です。祖父母や両親のおかげで、親戚付き合いが濃かったので、よく叔父や叔母に遊んでもらったり、なにか買ってもらったり、いとこたちと遊ぶこともたくさんありました。
年末には、お餅をついたり、お墓参りには家族そろって行ったりと、大人に接することや、家族行事が比較的多い家庭だったように思います。

02~~人生初の努力の実りを感じたとき~~

今では「見えないね!」「予想外!」とよく言われますが、私は小学生から高校卒業するまでバスケットボールをやっていました。中学1年のときのマラソン大会で、自分でも思った以上に結果が芳しくなく、120人中52位という結果だったんです。
マラソン大会が終わってから部活の先輩に呼ばれ、こう言われました。「バスケ部で一番遅いから、恥ずかしいよ。練習して。」と。自分でも悔しい結果だったうえに、わざわざ呼ばれて言われたのも恥ずかしく、何としてでもがんばらなくちゃ、というプレッシャーにかられました。
それからというもの、私の毎日のコソ練(コソコソ練習するの略!)が始まります。部活以外で自分で持久走の練習を毎日やりました。夜の暗さを心配して自転車で母が伴走してくれることもありましたが、自転車のスピードが追い付けないほど速かったそうです。
試験前でも、疲れている日でも、真夏でも、誰に褒められるでもないのに続けました。
その翌年の中学二年の冬。マラソン大会で部活の仲間やクラスメイトも「まさか、あののりこが?」と思う走りを披露していたそうです。結果は、学年2位。
私は生まれて初めて、自分の努力が結果となって、形になって表れたのを体感しました。
この経験を境に「やれば出来る」というのを本能的に思えるようになり、自分に期待をかける、目標が決まったら取り組めば達成できる、と心の底から思える自分になったような気がします。

03~~勇気をもらう私の一番好きな花~~

私の住む静岡市の≪市の花≫としても登録されているタチアオイ。皆様ご存知でしょうか。道端に自生し、背の高いものは2メートルを越えます。まっすぐに地面から空に向かって伸び鮮やかな赤やピンク色の可愛い花がつく植物です。初夏のシーズンに道路の脇や民家の壁に沿って畑の隅っこに自生するようなお花です、見たことありませんか。
私はタチアオイに衝撃的に励まされ、勇気をもらい立ち上がれた過去があります。自転車通学だった高校時代、今はもう内容は覚えていませんが、ひどく落ち込み、もう立ち直れないような悲壮感で学校から帰っていたときのこと。ふと顔をあげたときに目に飛び込んできたタチアオイから、生きるエネルギーをもらった感覚は今でも忘れません。こんなにもまっすぐに天に向かって生えている、疑うことなくまっすぐ伸びる姿に潔さ・清々しさ・勢いを感じました。私も前をみよう。上に向かおう。顔をあげよう。元気をだそう。そう思いました。
実はこのタチアオイの花言葉は、<大望・野心>。あとから調べてわかったのですがタチアオイから勇気や希望をもらったのも納得です。それ以来、私の一番好きな花はタチアオイです。一年の中で決まった時期にしか見ることはできませんが、私のお守りのような存在です。
人に生きる勇気や元気を与え、よそ見をせずまっすぐ目的に向かい、圧倒的な存在。
タチアオイは、私の生き方のシンボルです。

04~~生きがいを見つけた大学生時代~~

私は、父が中学校の教師、母はピアノの先生、親戚の叔父も学校の先生、というような環境で育ったためか、小学生のころからの夢は、なんとなく<先生になること>でした。
もともと祖父からは「お医者様か学校の先生になれ」と言われてきたので自分の中で、それ以外の職業に興味をもつアンテナを持ち合わせていなかったのかもしれません。
祖父や父が期待するとおりに、学校の先生を目指すことが正解だと思っていた、という方が合っているかもしれません。実際、勉強することは好きなほうで試験などで大きく困ったことはありませんでした。大学は教育学部を選び入学しましたが、大学生活の空いた時間に居酒屋でのアルバイトをすることに決めました。軽い気持ちで始めたこのアルバイトを、まさか学生生活の4年間ずっと続けることになり、しかも将来の職業を左右する大きな転機の場となることは私自身も家族も予想だにしなかったことは言うまでもありません。
私の居酒屋でのアルバイトはとても忙しく、私の<工夫好き>が生かされました。ビールのジョッキを両手でたくさん持てば持つほど、そのグループさんが一斉に乾杯ができ、盛り上がりに一体感ができること。お客様がお品書を手にし、伏せていた目をちょっと上げたタイミングで、さりげなくオーダーをとりに行くと喜ばれたこと。自分が絶対に美味しいと思うメニューを心の底からおすすめすると、だいたいの方がそれを注文してくださること。おなじみさまのお名前を覚える努力をし、さらに会社名まで覚えてスムーズに領収証を書くと、そのお客様に褒められたこと。接客をする上では、ここには挙げきれないくらい、挑戦したことが実る楽しさを体感させて頂きました。いかに、その方に一瞬で尽くすか。目の前のその方が今日求めていることは何か。私が、自己紹介しなくても、いつの間にか私を<のりちゃん>と呼んでくださるサラリーマンでいっぱいでした。
また、ここでもう一つ。私の存在価値を高めたのは店長の存在でした。店長は経営者ではなく料理人でしたので器用なほうではなかったと記憶していますが、いつも一生懸命でまじめな方でした。忙しい金曜や土曜、大人数の宴会などが入ると、おでこに汗をかきながら厨房を走りまわり、熱いものは熱いうちにスピーディに提供するように声を発していました。店長の役に立ちたい、店長の力になりたい、店長を喜ばせたい、と思うようになったきっかけは、お客様が帰った後のレジの精算のときの姿を見てからです。
店長が、ほっとしたように安堵の表情で「のりちゃん、今日の売上30万超えたよ」とこちらを見ながら嬉しそうにしていました。大学生だった私には、お店の売上を上げることが、どう必要なのか、どれくらいの売上が好ましいのか全くわかりませんでしたが、学生である私に向けて、大人の達成感を見せてくれた店長の力になりたい、と思うようになっていました。自分の行動がだれかの成功を生むこと、自分が役に立ったとき、何かが達成されていること、内側から湧いてくるエネルギーに気付いていました。
私は、この居酒屋でのアルバイト経験からサービス業に就くことを決意しました。ここまで学校の先生になるための道を歩んできましたが、私は誰にも相談することなく、お客様商売をする仕事に就きたいと大きく方向転換することにしたのです。
自分の情熱と思いやりが誰かに喜ばれるのを目の当たりにできること、使命感をもった
とき、想像以上の力を発揮できること、工夫したりこだわったことが数字に表れる事、
私は接客業の道を選択しました。

05~~真心と寄り添いがもたらした営業成績~~

私は、就職活動の分厚い雑誌の中から<お客様第一主義>という文字を大きく打ちだした、ある会社に就職をすることに運命を感じ応募しました。今思えば、<お客様第一主義>などどいう言葉は月並みなありふれた言葉ですが、その時の私のアンテナが引っ掛かったのも何かの縁だと思います。その会社は、消費者金融の会社でした。特別に数字が好きだったわけでも、金融の世界に興味があったわけでもありません。単にきっと思い切り接客ができるに違いないと思いました。たった4年間しか勤めませんでしたが、当時700名超の従業員のいる大きな会社で私の営業成績は2位をキープしていました。入社1年目から4年の、いわば新入社員がそこまでの結果を出せたのはセールスマンに本当に必要で重要なのはノウハウとテクニック、キャリアというものではないという証明なのかもしれません。
私の原動力は、<支店長を全国でナンバー1の支店長にしたい!>でした。支店の社員の成績が支店の順位を決めます。支店長のボーナスを決めます。しかし、営業成績を出すということはその業種で言うと、イコールお金を借りて頂くということで、そう簡単なことではありませんでした。何が簡単でないかというと、自分の良心との戦い、精神的な葛藤です。個人的な負債を、29%という高金利で借りてしまったら、人生が破滅、生活が破たん、いいことではないと、新人23歳ながらに思っていました。そんな中で私が取り組んだのは雨の中来店された方にタオルを差し出す。支店にそのような備品はなかったので、自分で買ってきて支店に置いておきました。単純にお客様のバッグが濡れていたかわいそうだと思ったからです。暑い日には「暑い中ありがとうございます」と冷たい麦茶を差し出し、汗がひくまで本題には入らない。お電話した際には、必ず「先日の〇〇〇をありがとうございました。」と、前回からの話の続きを覚えていることを強調する。来店されたお客様には、御礼のはがきを書きました。誰から教わったわけでもなかったのですが、そのお客様のことを振り返ると書きたい衝動にかられたという自然な衝動だったように記憶しています。
一日に百件を超える架電をしましたが、トークスクリプトのようなものに頼ったことは一度もありませんでした。前回お話ししたことを踏まえながら、今日の天気を感じながら、電話の向こうのそのお客様のテンションと興味を敏感に感じながら、目の前のかたに私を一瞬で受け入れて頂くことに集中しました。ですから、何に一番注力していたかというと、その時の話の内容や、お客様の発言、できごとなどの記録をどれだけ細やかにキチンを残せるか、にはかなりの神経と労力、時間を使っていたように思います。
そうするお付き合いの中で、私を指名してお電話下さる方が増え、金利やその他の条件に関わらず、私の提案であれば快く申し込んでくださるファンで成績が上がり続けました。
この4年間から私は、いかに人と人が心で結ばれることで仕事が生まれるか、真心と誠意という目に見えないものこそが大事であるか、本心から思ったことはまちがいなく相手に伝わる、ということを学びました。
目の前のかたに集中し、その方のための最良とはなにかを本気で考えたとき、自然と結果に表れ、セールスのスキルというのは小手先のテクニックではなく、小さいころから擦りこまれてきた人生哲学、人間哲学のような、意外にも泥臭く地道なものであることを体感した会社員時代です。

06~~素直に憧れる、私の習性のこと~~

私にはこれまで多くの出会いと繋がりがありましたが、本当に幸運なことにいつも周りには背中を追いたくなる人生の先輩や、すばらしい方がいます。私の独特な特徴は、そのような方々が、どんな活躍をされたり、著名人であっても、どうしてもお近づきになりたい!と思うので、高嶺の花と思って遠巻きに見ている、ということがほとんどありません。そして、接点を頂いたときには乾いたスポンジのように、どんどん吸収し、自分なりに変換して、やってみようという素直さが向上のポイントだと思ってきました。
自分流とか、今までは、というような小さな固定概念はなんの役にも立たないと思っています。もっと良くなりたい、もっと成長したい、もっとできるようになりたい、と毎日思っているので、前進のヒントや気づきがあれば、常に取り入れます。
多くのすばらしい方々は、いつも心強いアドバイスを下さり、惜しみなく力を貸して下さいます。尊敬する多くの方々に共通しているのは地道に努力を継続する忍耐力を持っていること、向上に飛び道具はなく誠実に実直に続ける事だと思っていらっしゃること、他人を惹きつけるだけの信念と夢を持っていることなどでしょうか。そして今で十分、これくらいで十分、と思うことなく常に意欲的で先を見ている方々ばかりです。
私は幸いにも尊敬する多くの方が周りにいて、勉強させて頂ける環境を持っているので、自分に必要なのは素直さと即実践する行動力かなと思っています。