MissionThanks to Grandfather and Family
- わたしの使命
- Chapter-3
07
就職、自分の存在価値への気づき
23歳、社会人1年目。
キチンとした教育のもとに育成して頂き、明確な結果を求められるというシビアな現実、会社員生活が始まりました。
両親と祖父のもとから一度は離れてみたかったため、新卒の勤務先として県外、山梨県の甲府市を選びました。
もともと新しい輪に馴染むのも苦手だったので、入社した頃は先輩女性社員との折り合いに悩み、一人暮らしのストレスもあったのか、通院しながら会社に通っていました。
でもその一方で、お客様に尽くすことは心に語りかけること、お客様のお名前を覚えてお呼びすることがどんなに信頼を得られるか、電話口の声のトーン1つで、話を聞いてもらえるか切られるか、朝一番に出社して、一番遅くまで仕事をする情熱に力を貸してくれる上司や先輩との距離感、その相手お1人お1人を頭に浮かべて、手書きをするお手紙がもたらす効果――
私の一生懸命がカタチになり、成果をだし始めたことで、自分自身の存在価値と長所を、自分が認めるようになってきていたように思います。
自分の行動や言葉はきっと間違っていないと思えた私は、入社2年目から退職する4年目まで、当時800名くらいいた全国の社員の中で、<毎月の営業実績2位>という継続的に表彰される営業成績をキープし続けました。
それはわずかな報奨金のためではなく、自分を信じること、自分の職業を信じること、お客様にとって有益な情報やサービスの提供こそが営業成績という結果に繋がること、今の私をつくる、宝のような経験でした。
消費者金融のセールスマンだった私が、その4年間で得たことは計り知れず、当時の社長や、上司、先輩たちに、心から御礼を伝えたい気持ちは、何年経っても変わりません。
独りよがりの営業には誰も耳を貸さないけど、目の前のお客様のことだけを考えたその時に、誰もが私を受け入れて下さったこと、きれいな文章でなくても、心から伝えようと本心で思ったら必ず伝わること、誰にも嘘なく、正直に仕事をしていると、お客様から愛されること、自分が信じたやり方を地道にまじめに続けることが成果に繋がること。
営業で好成績を残せたから感謝しているのではなく、自分を信じることができるチャンスを頂けたこと、私の考え出したやりかたで自由にやらせてもらえ、自分を認め、肯定できる環境を与えて頂けたことが大きく、その後の私の人格形成にも影響し、心の財産になっています。
08
名前の由来と家族の思い出
ところで、私の名前は<賀子>といいます。
賀子と書いて「のりこ」と読むのですが、父がつけたこの名前はあまり好きではありませんでした。
長女が生まれた喜びの気持ちをおめでたい文字で表した、というのが父がこの名前をつけた由来だそうですが、賀子をのりこと読んでもらえることはめったにない上に<子>がつく名前より、愛ちゃんとか、南ちゃんとか、もっと女の子として可愛い名前が良かったのに・・・と思ってきました。
だからでしょうか、今でも私を名前で呼んでくれる人はなぜか好きですね。
そういえば、闇のように感じていた子供のころや学生時代にも、うちの家族と親戚で続いてきたことがあるのを思い出しました。
3か月に一回、お誕生日のお祝い会があって、20人くらいの親戚でその時期のお誕生日を外食会場でお祝いするのです。
例えば、私は8月生まれなので、7月~9月のお誕生日の人たちと一緒にみんなに祝ってもらうのです。家長であった祖父の意向と主催で何十年も続いてきました。
和食のコース料理は堅苦しくて嫌だったし、自分の意志とは関係なく定期的に集まることに違和感もありましたが、今思うと、そのおかげでどの親戚たちともずっと濃い繋がりですし、還暦とか、米寿とか、長寿のお祝いの祝い方も自然に身につけてこれました。
09
結婚と離婚、祖父への感謝
いつも祖父の口ぐせは、「この家の跡取りはお前なんだ」「いいお婿さんを連れてこい」。
幼少期からその言葉に囲まれ、擦りこまれてきた私。
いくつなっても、どんなに祖父が弱ってきても、99歳で他界するその日まで、祖父の目を見て、「おじいちゃん、そうするよ」と言えたことは一度もありませんでした。
「この家に生まれたことを感謝しろ」と言われ続けても、祖父の目をみて感謝を伝えられたことは、一度もありませんでした。
2015年3月7日の、祖父が他界したその時まで。
祖父の葬儀の弔辞を読み上げる役目を、父から任されました。
私は、祖父への正直な想い、今までのしがらみ、みんなが知らない祖父との思い出を、赤裸々に綴りました。
そして、心の中から湧き上がった、最後の私の言葉は、「この家に生まれて良かったよ」「私がこの家を継ぐから安心してね」でした。
生前の祖父が欲しがっていた言葉を、このタイミングにしか言えませんでしたが、自分の意志で、こうしたい、これでいいと思えたことが、私のその後の人生のベクトルを決める、転機になったように思います。
10
自己肯定、周囲への感謝から人生の素晴らしさを得られるように
大人になり、自分自身の心の変化に、自分で気づくようになっていきました。
それは、私はこれでいいんだという肯定の気持ち。
窮屈で強制ばかりだったと感じていたことが、実は愛されて育ったのだという気づき。
考えたとおりの自分になれる、という自分への期待。
祖父のせい、両親のせいではなく、祖父母のおかげ、先人のおかげ、両親のおかげ、という心からの感謝。
それらの感情が未来に希望を感じさせ、自分ならできるという自信を生み、生きるって素晴らしいということを自然に思えるようにしてくれました。